龍海院(岡崎市)
龍海院は、山号は満珠山、曹洞宗の寺院です。
享禄3(1530)年に松平清康公(家康公の祖父)が建立し、武運長久の祈願寺としました。
同じく市内にある龍渓院が山の近くにあるのに対して、海側にあるので、龍海院と名付けられたと言われています。
曹洞宗では、お釈迦さまが南向きに座って説法をしていたといういわれから、本堂は南向きに建てることが多いそうですが龍海院は岡崎城天守閣から拝めるようにとの配慮から、全国的にも珍しく北向きで建てられています。
また、別名「是之字寺」といわれています。これは松平清康公が20歳のとき、「是の字」を左手に握る夢を見て、これを模外和尚に占わせてみると、「是の字を握るは天下を取ることなり」(是の字を分解すると日・下・人)と答えたので、喜んだ清康公が和尚のために建てたのが龍海院と伝えられます。
以後、その家臣酒井正親家の菩提寺となり寺領も120石となりました。
西三河三十三観音霊場の第七番札所です。
昭和20(1945)年、7月19日から20日にかけての岡崎大空襲で焼失し、昭和45(1970)年5月、RIA建築綜合研究所(現在のアール・アイ・エー)の山口文象の設計により鉄筋コンクリート構造の本堂、社務所の建築工事が着工し、昭和46(1971)年に完成しました。
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.7.1
住所: 愛知県岡崎市明大寺町西郷中34−1
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