おじさんがフラペチーノを買う動機は、娘を喜ばすためなのか、職場の若者との会話のネタのためなのか。
カッコつけて言うなら、映画『ショーシャンクの空に』のタール塗り後のビールのシーンのように、自由を感じたかっただけなのかもしれません。
フラペチーノという飲み物が教えてくれたのは、いつも同じ時間に同じようなものを買ってきて、判を押したように日々を過ごすことが安全だし、安心だし、結果として理にかなっているなんて思ってしまっている自分に対して、少しくらいはみ出したって夢を描くのを忘れないことの大切さでした。
そんな些細なことが人生をバラ色に変えるマジックだとして、気の持ちようで見え方、感じ方を、自分ごとになると客観視出来なくなるという不幸を少しでも減らしたいと切に思うのは、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所に咲いた名も知らない花が救った心があったからなのだと思います。
劇的な幸運に恵まれて絶頂の幸せを味わう機会なんておそらくないことは歳を重ねるごとに段々と分かってきてしまいます。
それでも、判を押したような日常の中でささやかな幸せをいくつ見つけられるかワクワクしながら毎日を過ごしたいものです。
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2024/04/18 01:52:28