すこしづつ落ち着きを取り戻して来たので、先日亡くなった妻のこと少し記してみます。書くことで、思いを刻んでおきたいと思い立ったのです。
人は不思議で、ひどく痛い出来事があると、敢えてそこから目を背けようとしてしまいます。
自己防衛というか...
しかし「人の死とはその人のことを忘れたとき」だと思うのでここで妻のことをしっかり残しておこうと思うんです。
11月23日 家から歩いて5分にある大型病院に鴨川から転院した妻に対し、医師から話しがあるというので家族全員が集められました。
話の内容は、余命が1ヶ月あまりであるというものでした。
子宮筋肉腫という病に掛かってから、遅かれ早かれ訪れる別れの時、常に気持ちに折り合いを付けるようにしていましたが、顔色もよくマックやピザ、なんでも食べる妻を見てて、まったく信じられる筈もなく、10月には「春までは持ちますよ」と前の病院で言われたため、高をくくってたのも事実。
しかし、万が一のこともあるし限られた時間のなかで出来うることをしようと、何より妻の希望もあり、家に帰ろうという事を決めました。
家に帰るにあたって、歩行器などで歩く体力はあるものの、咳と息切れが酷いため病院と同等の環境を整える必要がありました。
具体的には、酸素吸入器、介護ベッド、歩行器、ポータブルトイレ、介護ベッド用テーブルなどを揃える必要があり、リビングを全て片付け、そこに病院さながらの設備を整えました。
12月4日 介護用のタクシーを使っていよいよ退院の日です。
介護タクシーといっても、全てのタクシーが酸素機器などを扱えるわけでなく、一部の業者だけです。
介護タクシーを回してもらい待っている間、歩けばたった5分なのに、ここまでしないと家にさえ帰ることが出来ないことに、情け無いと泣く妻に、かける言葉も見あたらなかった
「望み通り家に帰れるんだよ?よかったじゃん」
とだけ言うのが精一杯。
自宅介護の体制としては、訪問看護師さんを中心に、医師、薬局、ヘルパーさん、訪問入浴の業者などが連携し、時間刻みのタイムテーブルをケアマネさんに組んでもらいます。
食事については、自分は日中仕事であり、世話することが出来ないため、家の中まで食事を運んでくれる業者が必要です。大抵は自宅まで運ぶレベルですが、幸運にもベッドまで持ってきて、声かけまでしてくれる業者を見つけられました。高価ですが生活と質を優先です。かくして自宅の生活が始まりました。
自分は朝と夜はトイレの世話、朝食を出したり、浮腫む脚のマッサージ、飲み水くみ、血圧測定、体温管理、Spo2測定なども行い、夜中や明け方などは咳がとまらないときに、麻薬の量を増やしたり、背中をさすったりしつつ、昼は仕事とかなりハードな生活でした。
でも、積み上げられた30年の想いが自然と体を動かしてくれます。
ホスピスに入ると、人が死に向かう時にどんな事が起こるかが書かれた教科書を渡される事があります。
在宅で看護をすると言うことは、死に行く人のサインを見落とすと、寿命を縮めかねませんし、それ以前に、苦しみを取る緩和という行為からはかけ離れてしまいます。
兼ねてから「苦しいのはイヤ」と言われているし、辛くなったらセデーションをはじめることは意思確認していました。
12月24日 朝4時ころ、背中の痛みが強くなったと起こされました。それまで、少しづつ麻薬の量を増やしていたが、それでも叫ぶくらいの痛みを訴える妻を見て、セデーション(意識レベルを意図的に下げる行為)を始める事を1人で決意して医師に連絡を入れます。
モルヒネの量を増やし、少しづつ意識が薄れていくのが見てても分かります。
顔の表情も穏やかになり、平穏が訪れます。
しかし、呼び掛けても応じません。
最期のお別れの会話も成立しないまま、深い鎮静に入ってしまいました。
娘はその場に居ないため、意識を下げて話が出来なくなったことをLINEで伝えても、既読にならず、自らの判断で人の意識を奪う事がこれほど罪悪感に捕らわれるとは思ってもみなかったのです。
本当は
「30年分のありがとう」
を伝えなければならないのに...
~訪問看護師の日誌~
12月26日 意識レベルが下がったまま、少しづつ衰弱していく妻、あと数時間もつかもたないかわからず、時間がないことは明白でした。
訪問看護師の方が「娘さんは、お母さんの臨終に立ち会えなかった事を絶対後悔するから、私から連絡してみます」と提案を受け、お願いをすることに...
しばらくして看護師さんから「娘さん今から向かうそうです」と電話がはいり、数時間後に娘と彼氏が到着。
12月27日 反応はしなくとも最後まで耳は聞こえているらしく、家族それそれが妻に声をかけ、明け方4時ころ眠るように息を引き取りました。
まるで家族3人揃うのを、まっていたみたいです。
妻は3年の長い治療を終え、ボロボロになった身体に別れを告げました。
妻はいわゆる終活で、自身のエンディングノートを記していましたが、家族へ宛てたメッセージは書いてありませんでした。まだ意識がある時に何かメッセージを残してほしいと改めてお願いしたのですが、最期は字さえ書けない為、スマホのボイスレコーダーにメッセージを録音してくれた様です。
内容は家族それぞれに宛てた、感謝の想いでした。
今もってそれを聞いて、返す相手が居ないことに未だ慣れることはありません。
全く寝付けないで朝を迎えたり、いまだに明け方に妻の様子を看るかのように目が覚めたり、鬱々した日々が続いています。
気持ちに折り合い?
なものつけられるわけねぇ~よ!
追伸になりますが、ご心配されて直接お電話いただいた方、お線香を上げにきてくださった方へ、この場を借りて御礼申し上げます。
Posted at 2019/01/17 07:45:43 | |
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