岩倉城(野洲市)
小堤城山城とは尾根続きにある岩倉城
2023年07月12日
岩倉城は小字岩倉にあり、西方は小堤、辻町に接し、東は立石山に接しています。昔、馬淵氏がここに城郭を築いたため古城の名があるが、今は石垣の一部が残るのみです。正安2(1300)年築城の岩蔵城、もしくは応永8(1401)年築城の弥勒寺城のいずれかに該当するものと考えられており、両城とも六角氏が築き家臣の馬淵氏が守備したと伝えられていますが、その後、西方500mの尾根伝いに小堤山城が築かれてからは、同城の出城となったようで北東と北西に開口する虎口付近には戦国末期に後補された石積が残ります。
頂上近くに池があり、明治時代の記録では、「桜本の池」と称し、干ばつの時も水が枯れたことがないと言い伝えられています。山頂への参道は、古くから表坂と裏坂と呼ばれる二つのルートがあります。表坂は光善寺川を越え、ほぼまっすぐに尾根を伝い、屏風岩を通って山頂に至ります。
一方、裏坂は光善寺川の源流となる谷の一つに沿っており、途中で大きく左手に向きを変え、山頂直下の桜本池に達します。
桜本坊は応永年間(約600年前)に岩蔵寺(がんぞうじ)が再興されたときに造られた六坊の一つで、古城山山頂に位置します。桜本坊は他の坊が荒廃し消滅する中で最後まで続き、明治新政府の神佛分離令によって神道化し、桜本社と称することになりました。明治27(1894)年には瓦葺の小さな社殿が建立され、例祭行事(古城祭)の他、大干ばつ時には雨乞い祭りも行われました。
しかし、第二次大戦の頃、その例祭行事が断絶してしまい、その後は古城山山頂周辺に石積、社殿の瓦、それに石灯籠を残すのみになりました。
Photo Canon EOS 5D Mark IV
R5.6.25
住所: 滋賀県野洲市大篠原
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