布施山城(東近江市〔旧蒲生町〕)
布施三河守家の居城・布施山城
2023年07月13日
布施山城は、玉緒(布施)山(標高約240m)の頂上に築かれた六角氏氏家臣布施氏の山城です。
頂上からは北西に観音寺城跡、北に小脇山城跡、北東に八日市、八風街道や百済寺を望むことができます。
広く視界が開けていて、戦国時代の軍事的な要衝でした。
布施氏は主に布施三河守家と布施淡路守家に分かれていました。
布施山城は本家筋である布施三河守が城主であり、布施淡路守は大森城主(東近江市大森町)と伝わります。永禄6(1563)年の観音寺騒動で、布施山城西側の端面地域一帯を領する後藤氏が六角氏に謀殺されると、家臣は観音寺城を離れて各領地へ帰りました。これを契機に布施三河守家は、六角氏と距離を置いたとみられ、永禄9(1566)年には北近江の浅井氏と呼応して六角氏に反乱を起こしました。この時、浅井氏は東近江市五箇荘小幡町まで南下して障を張り、先鋒は船岡山に到達する勢いをみせており、布施山城周辺が緊迫した状態であったことが知られています。
布施山城の範囲は、北東から南西方向に約62メートルの規模です。南西部の主郭は22x29mの大きさで、高さ約8
0cmの土塁で囲われ、北東と南西にでも虎口(入口)があります。南端には径6〜7mの井戸跡が残っています。
主郭から北東へ約3m低い位置にある副廓は、21✕18mの大きさで高さ約50cmの土塁に囲われ、南東部に虎口が設けられています。
城の西側及び南側には複数の竪堀があり、堅固に防御する構造となっています。主郭北東の虎口には、石積みの門が造られていました。
主郭南斜面から円筒埴輪が出士しているため、城郭に使われた石は、古墳の石材を再利用したと考えられています。布施山の頂上に古墳が造られた後、戦国時代に城として改修されたとみられ、戦国時代の城の痕跡が、現在も良好な状態で残っています。
Photo Canon EOS 5D Mark IV
R5.6.25
住所: 滋賀県東近江市稲垂町
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