後藤館(東近江市〔旧八日市市〕)
六角氏の重臣後藤氏の居館・後藤館
2023年07月13日
後藤館跡は近江守護佐々木六角氏の重臣後藤氏在地居館跡です。
後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、代々六角氏の家老の位置にありました。
16世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるいましたが、永禄6(1563)年、義賢の子義弼に謀殺されました。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅されました。
この後藤館跡は周囲に基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で、東西幅、東辺の長さ約100m、西辺の長さ約120mの変形四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存しました。
当時の在地領主の館は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋、蔵、厩などの建物が存しました。
当館跡の建物配置は定かではありませんが、昭和56(1981)年の発掘調査で井戸跡、厠(便所)跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北部中央附近に存したと推定されます。
平野部に残る中世の館跡として貴重であるため、所有者後藤正男氏および関係機関の協力により保存が実現しました。
なお昭和58(1983)年度から昭和59(1984)年度に一部を環境整備し、ここに永く後藤館跡の保護をはかるものです。昭和58(1983)年3月28日、滋賀県指定史跡になっています。
Photo Canon EOS 5D Mark IV
R5.6.25
住所: 滋賀県東近江市中羽田町
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