廉太郎トンネル
「荒城の月」の作曲者である瀧廉太郎は東京生まれであるが、官庁務めの父親の転勤に伴い12歳から2年半竹田で暮らしている。よく学校の裏にある岡城跡で遊んだり、石垣に座り尺八を吹いたりしていたという。滝親子が住んだ官舎は現在では瀧廉太郎記念館として保存されているが、そこに至る道筋に幅2,5メートル、長さ15メートルの「廉太郎トンネル」がある。明治中頃に完成したそうだが、「歴史の道」として昭和62年頃にメロディ・トンネルとして改装したものである。トンネルの両口に熱センサーによるスイッチを配置し、トンネルの中央部からメロディが流れるようになっている。春〜夏は「荒城の月」、「花」、「水あそび」のメロディが、秋〜冬は「荒城の月」、「秋の月」、「ハトポッポ」がそれぞれ流れる。このトンネルをくぐり突き当たりを右に曲がれば上述の記念館に至る。
近くには竹田で生誕した日本初の軍神として神格化された広瀬武夫中佐を祀る広瀬神社がある。日露戦争時の旅順港閉鎖作戦で沈みゆく閉鎖船に取り残された杉野上等兵曹を3度も捜索(「杉野よいずこ、杉野よいずこ」)したが叶わず、やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした刹那、ロシア軍の砲弾の直撃を受けて戦死している。
時間があれば脚を伸ばすことも...
住所: 廉太郎トンネル
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