今日、愛知県の瀬戸まで行ってきました。叔父(母の兄)の葬儀です。
叔父は元々高山に住んでいて、10数年前、名古屋で勤務している従兄弟が家を新築した為、叔父夫婦は同居する目的で瀬戸に引っ越しました。
しかし、瀬戸に引っ越してから脳梗塞を患い、その後認知症を発症しました。
それからは5~6年、施設に入居していましたが、前立腺がんなどを併発、病院へも何度も通院したりしていたそうなんですが、木曜日に帰らぬ人となってしまいました。
施設の職員さんが、朝、部屋に行ってみると息をしてなかったそうです。
そういえば、叔父の呼び名であった「おっちゃん」…最初に考えたのは私なんですけども、「プロゴルファー猿」に登場する「おっちゃん」によく似てたのでそう呼ぶ様になりました。それでつられて他の親戚まで「おっちゃん」と呼ぶ様に…(笑)。
思えば、飯田の出身である私の父が、母と名古屋で出会った際に、「高山へ来ないか?」と父を呼んだのは「おっちゃん」でした。
そして「おっちゃん」は当時市役所に勤務、私が小学生の頃、高山市図書館長をしていて、「オレ、(異動で)図書館長になったから、お前も遊びに来いよ!!」と誘ってくれ、それまでは小学校の図書室しか知らなかった私が、市立図書館へ行くきっかけを作ってくれたのは「おっちゃん」でした。
私はそれから休日の度に図書館へ自転車で通うのが楽しみで、夏休みには「子供向けの映画の上映会をやるから来いよ!!」と誘ってくれたり、事務所へ入って「おっちゃん」と話してくるのも楽しみでした。
また、「おっちゃん」は大のクルマ好きでもあり、私に自分が一通り目を通した「JAF MATE」をくれたりして、私がクルマ好きになるきっかけを与えてくれたのも「おっちゃん」でした(父はクルマは詳しくなく、錦鯉が趣味でしたから…)。
「おっちゃん」はクルマ好きといっても頻繁に乗り換えるのではなく、1台のクルマをじっくりと何年も乗るタイプでしたね。
最後の愛車となったのは、エスクードノマドでした。
そういえば20年程前、私に「ノマドに乗せてやる」と言い、2月の初め頃だったかにドライブに連れて行ってくれ、峠道に入ったはいいが、除雪をしてなくて、ついにハンドルを取られる様になり、「おっちゃん、尻を振る様になったから、ヤバいんじゃない?(…汗)」と私は止めたのですが、「いや、ノマドはこの程度の雪でも平気だ!!」と更に進んでいき、ついに亀の子状態に…
当時はまだ携帯電話なんてなかったので、私は何kmも雪道を歩いてふもとの家まで電話を借りに行き、ノマドの購入先のお店へ救助の要請をしました。
そして当時発売されたばかりのパジェロミニの試乗車でお店の社長と、従業員の人とで救助に来てくれたのは今となっては懐かしい思い出です。
それに、高山に住んでた時には私の家から数百m離れた近所に住んでた事もあり、私が中学生の時、母が胆石の手術で入院していた時に、(父と私に)ご飯を食べに来いと誘ってくれたのも「おっちゃん」でした。あの時の恩は忘れません。
私はそんな「おっちゃん」の元気な姿しか見たくなかったので、認知症になった「おっちゃん」の姿を見るのがイヤで、認知症を患ってからは会いに行きませんでしたね。とにかく、人を笑わせたり、楽しませたりして、サービス精神の旺盛な人だったのは確かです。
今回の「おっちゃん」もですが、その上の叔父も(3年前に)亡くなってまして、母のきょうだいは3人だけになってしまいました。
私は火葬場に行って、最期のお別れをする時にこう思いました。
「おっちゃん、今までありがとう!! 父さんたちと向こうでも仲良くやって下さい!! そして、色々とお世話になりました!!」
Posted at 2015/11/29 22:27:16 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記