ジムカーナをやり始めて、それなりに年数が経った私。
今日は、そんな
私のジムカーナの原点を振り返ってみます。
ジムカーナやサーキット走行を始めるまでは、どこにでもあるように(?)峠小僧でした。
タイヤを買う金がない、パーツを買う金もない、燃料代だってバカにならない・・・
今も金はないけど、当時はもっと金がなかった。
乗っていたクルマがインプレッサだったから、軽と比べてガソリン代を賄うのが余計にしんどかったように記憶しています。
そんな私に、「捨てるクルマ(L200のキャブ)があるけど要る?」という話をいただき、即乗り。
当時は軽自動車のことを、単なる足車くらいにしか考えていなかったのですが、運転してみれば
「遅いくせにメッチャオモロイ♪」
軽自動車のツボにハマった瞬間でした。
2001年からダイハツチャレンジカップに参加し始め、L200はご臨終になりましたが、絶対に忘れることができないミラ(L502)へスイッチし、ダイチャレに参加し続けました。
ダイチャレ自体は競技会(だと思います)なんですが、ダイハツ車オンリーだから普通にトールボディのクルマも走っていたり(笑)
スラロームと8の字ターンを主軸としたコース設定ですが、ガチで走る人がいる中で、
「スタッドレス選手権」といって「フロントタイヤにスタッドレスタイヤを履いて走ろう(笑)」というレギュレーションで走るような
バ◎チン(←お前もじゃ!)がいたり・・・。
今、振り返っても、走るときは楽しくガチなのに、非常にゆる~い感じの空気が、ジムカーナというより「ダイチャレ」というカテゴリのイベントだったように思います。
普通に考えれば、ダイハツチャレンジカップがジムカーナの原点だと思いますが、ダイチャレはジムカーナというより「ダイチャレ」という競技のような気がするんですよね(笑)
参加したことがある人であれば、言わんとすることを何となく理解していただけると思いますけど(笑)
それじゃ、ダイチャレを除くと、「いつが私のジムカーナの原点なんだろうか」と考えると・・・
スポーツランドTAMADAで開催されているGCUPなのかなという気がします。
2001年から2008年までダイチャレに参加し、2009年からGCUPに参加し始めたのですが、コースジムカーナを走ると、基本からやり直さないと全くダメだということを痛感しました。
このころは、GCUPにも息子(当時5歳)が一緒について来ていました(^^;
息子が「あー!32のGTRが走りよる!あっちにFDがおったよ~♪」なんて言いながら、会場で目を輝かせていたのが昨日のことのように思い出せます。
あ、2009年は娘が生まれた年で、幼児の頃から会場に連れてきてました(爆)
そもそも娘が生まれたときなんか・・・ま、この話はえっか(笑)
2010年、滋賀県で開催された奥伊吹チャレンジカップにミラで参加するため初の遠征。
結果としては優勝しましたが、初めて走る場所、コースをどうやって攻略しようかと、少ない走りの知識と技術を結集して走ったものでした。
ダイチャレに参加していたころから、「もっといろんな所へ遠征なんかしていたら、もっと技術が身に付いていたかも・・・」なんて考えたこともありますが、その時の仕事の状況、家庭の事情、財布事情、それらを含めての「やる気」などいろいろな要素があったので、後悔はしていません。
それよりも、私の周囲では走ることを辞めた(辞めざるを得ない事情もあったと思います)者が多いなか、これまでずっと続けてこられたことはよかったなと思います。
そして、これからも「走ること」は続けていこうと思います。
Posted at 2013/07/28 18:30:03 | |
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